教育に関して考える(3)
- 2013年2月号 -
今月もさらに教育について述べてみました。私のようなものが語るよりも、それなりの方が仰ったほうがわかりやすいと思いますので引用をさせていただいております。
永世棋聖で日本将棋連盟会長、また以前東京都の教育委員をされていた米長邦雄さんの講演の記録の中で以下のように仰っていました。
「現在のこの状況を作ってきたのは、日教組が悪いからです。
日教組は自分たちの地位を下へ下へと下げる運動をしてきたわけですね。
何をしてきたかというと、まず教壇を外す。教師の威厳とかなんかはなしだという事なのです。
また、体育館や講堂などの舞台で校長先生が卒業証書を渡そうとすると「駄目だ」というのです。フロアー形式と言いまして、校長先生が下に降りて対等な立場で渡す。
「子供と対等な目線で」と言う。そんなのは駄目なので、私は「子供が何かあったらぶんなぐれ」と言うのです。
子供も愛情で殴られたのか、感情で殴られたのか、よく判っているのです。今は、本当に甘やかし過ぎなんです」
私は日教組という組織に関して知識もありませんし、批判できるような立場ではありませんので、それに関しては何とも言えません。
ただ、米長先生がおっしゃるように教壇を外すなど「子供と対等な目線で」という方針が事実ならば、その方針は正しいのだろうか?と首をかしげたくなります。
対等なものが、先生として指導・教育をすることができるのでしょうか?
この人はすごい人だ、尊敬できる人だと思えるからこそ、その人の言う事に耳を傾け、学ぼうと考えられるのではないでしょうか。
自分自身が子供だった頃、その先生を尊敬していたかと聞かれると・・・、ただ、先生の言う事は正しいことであり、また両親に対しても尊敬の念を抱いていたと思います。
小・中学時代、学校の先生に殴られた事もあります。今思えば、意外と悪ガキだったのかなぁと思いますが、それに対して私は恨みつらみの思いは湧いてきません。
「子供と同じ目線で」聞こえはとてもいいように思います。ただ、それが本当に正しいのでしょうか?子供のためになるのでしょうか?
子供と同じ目線で見る両親、先生、これは同時にそれら大人の幼稚化を招く結果にならないのでしょうか?
この年齢になり、過去の偉人などの伝記を読んだりする中で、もちろん現代にも素晴らしい方はたくさんいるのだと思いますが、このような方々がたくさん出てくれる社会になればいいなと感じます。