教育に関して考える(1)
- 2012年12月号 -
たまには話題をかえて、歯科と関係ない話を・・・教育論を熱く語ってみたいと思います。
私が以前勤務していた職場に、開業してから遊びに行った時の話です。
職場の方が、「最近の若い先生は、上手になろうとかそういったやる気を全く感じないね」と言っていました。院長に指導され、プイッと辞めてしまったそうです。
多くの歯科医が勤務する歯科医院ですから、育てるという事に関しては、慣れているはずなのですが、そんな方々でさえ戸惑っているようです。
私たちの世代とは、何が違うのでしょうか?
掘り下げて考えてみたいと思います。
まず、学校等での教育スタイルが全く違うという事に気がつきます。
これは学校の先生やお偉い方を非難するものではないのです。おそらく、時代の変化やクレームなど様々な要因によって変化せざるをえなかったのではないでしょうか。
面白い例が、歯科医の育成の本にも記載されていました。
今や、若い歯科医を指導するにも、教える側が本を読まなければならない時代のようです。
「キャンプ場では自分たちで食料の調達などは全くせず、大人が用意して、作ってくれた料理を食べます。しかし、自分たちの記憶の中には「自分はアウトドアができる」と自己認識してしまうのです。
さらに、昆虫採集も山の中をへとへとになるまで探して捕まえるのではなく、大人が始めから用意してある場所で、虫取りをさせるのです。正直なところ、言ってみれば、これは仮想現実です。
なぜ、こんなことが行われているかというと、大人側の勝手な理論であるのですが、もしも、運悪く虫を捕まえる事が出来なかった子供がかわいそうであるという理論であり、さらに企画した人が、虫を捕まえることができなかった子供の保護者から非難を浴びてしまうので、虫を用意した状況で虫取りをさせるのです。「みんなが虫を取る経験をさせてあげたい」という考え方は、一見すると優しさとも考えられるのですが、これは、単なる甘えにしかすぎません。これも前述したように、「自分は自然の虫を捕まえることができた」という仮想空間の認識なのです」
「ドクター育成マニュアルより引用」
このような仮想空間の中で育てられた子は、社会に出た時にどうなるのでしょうか?
上手くいかず、悔しくて、それをばねに工夫したり、努力したりした経験のない子が大人となった時、どのように対処していくのでしょう。
子供の時に味わうそのような挫折は、大人のそれに比べるとはるかに乗り越え安いものではないのでしょうか。
子供の時に、自分自身で考え、乗り越えて行ける子は、大人になっても同じように、自分自身で考え、学び、乗り越えて行けるのだと思います。
一方で、ずっと保護されてきた子たちは、初めての挫折が社会人になって、しかも大きな壁として立ちふさがる事になるわけです。これは、前者に比べ、乗り越えることが非常に難しいと容易に考えられます。
来月に続きます。